自分のフィルターを育てる
ぐっと冷え込んできました。
先日は、森のようちえんであられが降る日に外へ出かけて、とっても寒かった。
おかげで、真冬に9時間以上猛禽調査をしていた前職での日々を思い出しました。
仕事とはいえ、出現するかどうか分からない鳥を極寒の中待ち続けるのは、なかなか大変で何度も心が折れそうになったものです。
自然観察に出かけるとき、その対象が生きものである場合は特に、お目当てのものに必ず出合えるとは限りません。季節やそれまでの天候・気温からある程度予測して出かけても、難しかったりします。
見れる時もあれば、見れない時もある。
見れたらラッキーだし、見れなかったらまた来る時の楽しみが増える。
そんなスタンスの人が多いので、私は自然を好きな人のことが大好きです。
こうしたスタンスでいることって、最近ますます重要になってきているなと思うようになりました。
というのは、失敗したくない、そのために早く正解を知りたいという人が多いと感じるからです。
近道なんてない
失敗しないようにとか、自分にとって損か得かで物ごとを判断することは、自分の視野を狭くする危険を孕んでいます。
例えば、「いい出会い」を求めている人がいるとします。
はじめて行ったイベントで、いきなり、結婚したい!、ビジネスを一緒にやりたい!と思えるような、めっちゃ気が合う人に会えたりするでしょうか。
おそらく難しいと思います。
むしろ、つき合ったけどうまくいかなかった、仕事のパートナーとけんか別れしてしまったという、一見ネガティブに見えることからの方が学ぶことは多い。
そういった機会は、「自分がどんな人と一緒に居たいのか、仕事をしたいのか」という、自分を深く知るきっかけをくれるからです。
インターネットによって、誰かの正解を探すことはできるようになったけれど、自分にあてはめた場合、それが正解になるとは限りません。
だからこそ、「自分には合わなかった出来事」から自身を見つめ、自分だけの答えを見つけていくことが大切なんだと思います。
自分のフィルターをつくる
自然の中で過ごすことは、たくさんの発見や学びがあります。
寒い日もあるし、暑い日もある。
風が強い日も、日の光が温かい日もあります。見える景色、出合えるいきものも季節によって違います。
経験を選ぶというよりは、ただそこに身を置き、自分のフィルターをつくっているような感覚です。
日常の中で感じたこと、考えたことが沈殿して「じぶん」がつくられる。
だから今日はめっちゃ寒かった!、何にも生きもの見れなかった~!、でも弁当はおいしかったなという何でもない1日も、特別な日と同じくらい大切にしたいなと。
たった数年しか年月を重ねていないのに、子どもたちのフィルターにはすでにいろんな個性が表れています。
そんな様子を観察するのも、すごく楽しい。
これからますます冷え込むけれど、楽しみながら外に出かけていきたいと思います。