移住者を見送る立場になって思うこと
桜が咲き始めるこの季節。
我が家は、移住のきっかけにもなった友人家族が別のまちへ移住するのを見送る側になってしまいました。しまった・・・という表現が適切なものかはよくわからないけれど、この1年は本当にいろいろ考えさせられる出来事が多くありました。
楽しいことも、悔しいこともありました。
そんな今の心境を書き残しておきたいと思います。
移住者と当事者意識
この1年で考える機会が多かったのは、「当事者意識」って何だろうということ。
そのきっかけは、移住者である友人が選挙に出ると決断したことがきっかけでした。
この出来事に驚いた人は多いと思う。
地方に暮らしていると、特に市や町といった生活に密着した地区カテゴリでは、議員は地元出身者であることが多い。いや、ほぼ例外なくそうと言ってもいいかもしれない。
率直な意見を言えば、応援してくれる人がある程度いて、当選までの道のりがある程度見えているからこそ立候補をしているともいえる(そう見えてしまう)。
そんな状況の中、友人の背中を押したのは圧倒的なまでの「当事者意識」でした。
当事者意識をつくるものって、一体何なのだろう。
そこに暮らした年月?年齢?いや、なんか違う。やっぱりそれまでの経験や思考の深さではないだろうか。
そしてもし移住者と地元出身者に違いがあるとするならば、私を含め地縁のない移住者はその場所が好きで、自分たちがあえて選んでその場所で暮らしている。
そして子育てという切り口からみると、私たちの世代はまさに当事者だ。
だからこそ暮らす場所で、これから先も持続可能に暮らしていけるかどうかということは、とても大切なのだ。
ビジネスの場面では、やるべきことはある程度決まっている。そしてそれは仕事だ。
一方で、暮らしに関しては「行政が・・・」とか、他の誰かがやってくれるのではないかと思ってしまいがち。
でも、暮らしを守ることに関してはそこまで法整備が発達していない日本において、他の誰かや行政にばかり期待していられない現実がある、ということを今回の件で痛いほど思い知ることになった。
誰かが何かをしてくれるわけでは決してないから、本当に達成したいことがあるならば自分で考えて自分の意志で動くしか道はないのだ。
当事者意識を考えるとき、いつも思い浮かぶのはライフネット生命出口さんの「世界経営計画のサブシステム」という考え方。
この世界を理解し、どこを変えたいと思うのか。それは世界を経営するということです。でも世界は広いので、自分はその一部分を受け持つしかない。それがサブシステムです。置かれた状況のなかで常に世界を理解し、何を変えたいと思い、何をして生きるのかというこうこと。つまり、世界経営計画のサブシステムを生きることが、人間にとって一番大事だと思い、言い続けています。
「好き嫌い」と経営|楠木 健より
この世界を正しく理解し、その何を変えたいと思い、そのために自分に何ができるのか。
当然だが、起こる問題・課題すべてに当事者意識をもつことはできない。
世界を正しく理解するために、歴史を学び、世界(多様な価値観)を知る。そのために旅をし、本を読み、人とよく話す。
そのうえで何を変えたいと思い、自分はどの部分を担うのか。
その思考過程の中で自分の当事者意識はクリアになると思うし、生きていくうえでずーっと考え続けていかないといけないことだなと改めて認識したのでした。
未来への選択を先送りするかたちでの次はない
当たり前だけど、それぞれの人は異なる時間軸で生きている。
選挙に出た友人は「次は〇〇やね」、「次は頑張ってね」などの言葉をかけられたそうだ。 でも、その「次」とは声をかけた人が考える「次」であって、友人の考える「次」とは全く異なる。
むしろ、友人が考えていたのは「次」がない「今」この瞬間のこと。
望む方向にコトが進まなかったのは、応援していた自分の努力が足りなかったことももちろん認める。
その上で、人生のうちに起こるいろんな出来事は、こういったすれ違いというか、時間軸の違いというか、いたずらというか、何といっていったらいいかわからないものに委ねられているものが多いのではないかと思わずにはいられない。
声をかけた人が今、「しまった!」と思っているかどうかはわからないけど、そうして起きたことはたいてい元に戻らないし、人生において大きな分かれ道になっているんだろうなーと感じてしまいます。
結局言いたいのは、次じゃなくて、今を大切にしたいよねっていうこと。
「次」は、今を精一杯頑張った先にしかないと思うから。
ということで、我が家は引き続きこの場所でできることをこつこつやっていきたいと思います!
また会える日を楽しみに!