習慣がつくる暮らし
すっかり冷え込んできて、外遊びをする時にもちょっと身構えてしまう日が増えました。
が・・・、私は森のようちえんの主催者なので、毎週火曜と金曜は必ず外遊びをしています。
寒いのに外遊びをするのって大変だね!と思われるかもしれませんが、正直なところ、子どもを連れて今日は何をしよう、外へ行こうか行くまいか、児童館に行こうかなど、あれこれ考える方が、私にとっては大変で。
この日は外で遊ぶ!と決めて、後はそのルールに従うだけ、という方がずいぶんとラクなんです。
何かを決めたり、決めるために考えたりすることは、エネルギーを必要とします。
今日の晩御飯すら考えるのがおっくうな日もありますよね・・・。
だからこそ、夜寝る前の歯磨きのように、自分が必要だと感じていることを無意識にできる、習慣レベルにまで落とし込めているとラクなんです。
暮らしと習慣
こうして考えてみると、私たちの暮らしは習慣のかたまりなんだなあと実感します。
先日、テレビで稲刈りの様子が映った時に、「あっ、これ、この前〇〇ちゃんとやったね~。」と、娘が話していました。
あー、こうやって経験が積み重なっていくのか。
子供たちは日々何を思って過ごしているのだろう、と観察していますが、ああ伝わってるんだ、分かってるんだと感じることが、ふとした瞬間にあらわれます。
ちょうど4年前に見た、映画「よみがえりのレシピ」に出てくるおばあさんの言葉も印象的でした。(大量生産・流通システムには不向きで、途絶えかけていた庄内の在来作物を受け継いでいく人たちの物語。)
「種を選別する作業を手伝ってくれる(2歳位の)孫が、道端に落ちていた種を見つけて、ばあばの「宝物」が落ちてたよーと拾ってきてくれたんですよ。」
大人の背中をちゃんと見てるんですよね。
習慣をつくるフィルター
何が習慣になって、習慣にならないかは人それぞれで、そこに個性があらわれる。
その人のフィルターを通り抜けたものだけが、習慣になっていくような気がしています。
私にできることは、親のフィルターを通したものを子どもに与えるのではなくて、子どもが自分自身のフィルターをつくれるように、サポートをしてあげること。
さくちゃんの言葉が、とてもしっくりきています。
こどもが大人になるまでに親ができることは、自立するときに「これは母の価値観だ」とわかるように、わかりやすくタグ付けしてあげることかなと思う。
わたしは、「○○しなさい」「○○はやめなさい」と言わずに「わたしは○○だと思う」と言うように気をつけてきた。「これはわたし個人の意見です」とタグ付けをしていた。
なので、小学生の時から娘はわたしと意見がちがうときに「あー、ママちん(わたしのこと)ならそうかもねー」「ママちんはそう言うと思った」などと言う。
引用元:「卒母」するために必要なことを考えた。|桜林 直子(サクちゃん)|note
「その考えもいいね、おもしろいね。でも、私はこう思うんよ。」
そんな会話ができる日を楽しみに過ごしていきたいと思います。