かとう家の小ばなし

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「田舎には何もない」の「何も」って何ですか?

 

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最近、もやっとした言葉の使い方にひかかることが増えてまして。

 

つい先日も、都市圏から越してきて5年以上このまちに暮らしている友人が、地元に長年住んでいる人に、

「こんな何もない田舎によくいますねー!?」

と言われたという話にひかかってしまいました。

 

勝手な想像なんですが、たぶん、その人に「何も」って何ですか?と聞いても明確な答えは返ってこないと思うんです。

 

そして、「じゃあ何があったらいんですかねー?」と聞いても同じような反応だと思います。

 

たぶん、それは自分以外の何かや誰かがおもしろい状況をつくってくれると思っているから。

 

先日読んで、とても印象に残った記事にも同じような言葉がありました。

自分になんの力もないとき、その場を楽しむためには人から与えてもらうしかありません。

引用:何もない場所にワクワクするのはきっと、成長の証。 | 最所あさみ | note

 

おそらく、田舎には何も無いと思う人にとっては、何かができたとしてもずーっと何も無い場所のままなんだろう。

やっぱり、一番大切なのは自分が変われば今すぐにでも変えられるものがあることに気づくことだと思うんです。

 

自分の言葉で話す、考える

ちょっと、話を戻します。

つまるところ、私たちって、気づかないうちにあやふやに曖昧に使っている言葉があるなーって思うんです。

 

例えば地域活性化を評価するとき、経済的な効果や観光客数、交流人口という指標が使われたりします。もちろん、誰が見てもわかるように、そして他事例と比較できるように数値化することには意味があると思います。

 

でも一方で、そういった評価指標を導入する場合には、こぼれ落ちているものはないかと考えることも大事。なぜなら、その地域にしかない個性を引き出すことで地域活性化につなげるのであれば、既存の評価指標で全てを評価できるとは限らないからです。

 

そして、なにより大切なのはなぜその指標を使ったのか、使うのかという根拠を自分の頭で考え、自分の言葉で語ることだと思うんです。

 

他で使われているからとか、国で決められているからとはではない、自分自身の言葉で語ること。そのためには、なぜその指標を選んだのかを考え抜くことが必要になってきます。そして実際、この考え抜くという作業がすっぽり抜け落ちてしまっていることが多い。

  

意識していないと、私たちはいつの間にか、他の誰かがつくった言葉やものや慣習や考え方の上で物事を見たり、評価してしまったりしていることが多いなあと改めて感じることが続いたのでまとめてみました。

 

反省も込めて。