本当に悪い人っていないのかもしれない|「漫画 君たちはどう生きるか」を読んで
周回遅れ感がありますが、話題になっている漫画 君たちはどう生きるかを読みました。
以前、原著を図書館で借りて読んだのですが、自身の状況が変わるとまた新たな発見がありますね。
物語は、主人公の中学生コペル君と編集者であるおじさんのやりとりを中心に展開されるのですが、今回は下記の部分が特に印象に残りました。
ー君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かしきれないでる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。
本当に悪い人っていないのかもしれない
コペル君は仲間が上級生にいじめられている状況を黙って見ていることしかできず、「いじめられた時には必ず助ける」という仲間と交わした大切な約束を、守ることができませんでした。
つまり、逃げてしまったんです。
これは、善悪で考えると悪いことだと思うのですが、「弱さ」として捉えるとまた印象が違うなと。
漫画では、逃げたことをひたすら後悔するコペル君が描かれていたのですが、いち読者の私としては、「悪い」というよりは「弱さ」感じました。
一方で、裏切られた当事者である仲間も、はじめはおそらくコペル君を「悪いやつ」だと思ったでしょう。
それでも、最終的にコペル君を許したのは、彼の「弱さ」を受け入れ、強くなりたいという願う彼の姿勢に心を動かされたからじゃないかと。
自分が任期のうちは、面倒なことは起こしたくない事なかれ主義。
自分が任期のうちに、何らかの実績を残したくて必要のないものを作ってしまうこと。
なかなか自分で自分を認められず、承認欲求を外に求め続けること。
悪口や嫌みを言ってしまうこと。
そういったことをしてしまうのは、その人の中の「悪」が表面化したというよりも、「弱さ」ではないか。
そして、大変な経験をした人に強くて優しい人が多いのは、自らの経験をもとに人の弱さを理解できるからだろう。
大変な経験を「強さ」に昇華できるかどうかも、きっと紙一重。
「私が大変な想いをしたのだから、他の人もその道を辿るべき。」
そんな悪魔のささやきを振り切るために学び続けるた結果、身に付くものを教養とよぶのだろう。
教養を身につけるっていうのは、何かに詳しいとかはなくて、強くしなやかに生きていくことなのかもしれない。
今まで感じてきた「悪」って、弱さなのかもしれないと考えると、相手の見方も変わるなあという、新たな発見でした。