刈り取る人と育てる人
先日、四国女子会というイベントに招かれてお話をしてきました。
会への参加をきっかけに、女性であることについて改めて考えていたのですが、私が大好きで尊敬する友人には、共通の傾向があるなあと気づきました。
愛が溢れている
まず、これ。普通、愛を注げる対象と言えば、家族を思い浮かべると思います。
しかし、彼女たちの愛の対象は家族にはとどまらず、例えば子どもについて語るときは、自身の子どもだけでなく地域の子どもたちが含まれ、お年寄りについても同じ。
主語が「私」ではなくて、「私たち」という感覚で物事を捉えている、と表現してもいいかもしれません。(私たちの子ども、私たちの地域といったように・・・)
おそらく、当事者として受け止められる守備範囲が大きいのだと思います。
育てることを楽しんでいる
そして、彼女たちはコツコツと育てています。
ちまたにはコスパがいい〇〇とか、
〇〇を実現するためにやるたった7つのこと、
など何かを達成するための効率のいい方法についての情報が溢れています。
それでも、彼女たちはそういった情報には振り回されません。
目の前のことに真摯に向き合いながら、ブレずにコツコツと何かを育てています。
その対象が子どもだったり、事業だったりします。
ここまで書いておいてあれですが、この2つを満たしているのは女性に限らないな・・・。
まとめますと、私はこの2つの要素を持っている人たちが大好きで、とても尊敬しているのです。
本音もすぐにばれる
ここからが本題なのですが、少し前に下記のツイートを読んで、心底共感しました。
「刈り取り思考」か「育てる思考」が。地域の面白いものを発掘してブランディングしたいとか、起業家やクリエイターがコラボできるインキュベーション施設をつくりたいとか色んなとこで話を聞きます。意義はわかるけどプロセスに違和感があることがよくあります。実は本当に何かを育てる気がない。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年11月9日
日々暮らしを重ねていると、愛を注がれてできたものと、そうでないものに出合います。
そして、SNSが生活に浸透し、発信しているモノ・コトを本当に好きなのか?ということがバレやすい時代になりました。
そのモノ・コトに対して真摯に向き合っているのか?という姿勢が、無意識のうちに伝わってしまうのです。
大好きだからこそ、そのモノ・コトについて、語ることができる言葉をたくさんもっているし、ネタもつきません。中にはえっ!そこまで?というくらい、マニアックな情報もあったりします。
だからこそ、あぁ、この人は本当に好きなんだなあという姿勢が伝わる。
そして、「好き」という気持ちがあるからこそ、コツコツと育てることができる。
バズや炎上を狙って、承認欲求やマーケティングの目的を満たすための近道を選ぶのではなく、ひたすら丁寧に水や栄養を与えながら、育てる過程をも楽しむことができるんです。
「実は本当に何かを育てる気がない」というのは、今後ますます伝わりやすい世の中になっていくと思います。
だからこそ、自分たちの好きなことやいいと思うことを大切にして、丁寧に伝えながら、コツコツと育てていきたいと思います。