世の中はそう簡単には変えられないから
若い頃に学んで良かったと思うことの1つに、「世の中はそう簡単には変わらない」という考えがある。
ありがたいことに、新卒入社した財団法人でこの考えを学ぶことができた。
その財団は、「正しいことを正攻法で実現していくこと」をモットーにしていたので(少なくとも私はそう感じていた)、目の前に立ちはだかる壁は相応に高く厚かった。
時代劇に出てくる悪役が実社会ではあまり登場しないように、世の中に分かりやすく悪い人なんていないんだと思う。
1つ言えるのは、社会人として目の前の矛盾に目をつぶっていると、それが積み重なった結果の、どう考えても本末転倒だし、理解できないことに出合ってしまう。こういうことを「タチガワルイ」と表現するのかもしれない。
実際、仕事として向き合わねばならないことは、「タチガワルイ」ことも多かった。
話を元に戻す。
「世の中はそう簡単には変わらない」と学んだからこそ、ショッキングなことが起きてもあまり落ちこまなくなった。
落ち込まないヨ!とは言えないけれど、落ち込みから回復するスピードは圧倒的に早くなった。
大好きな友達が移住してしまったり、これまで参加してきた数十回の選挙で自分が票を投じた人はなぜか当選しないとか、落ち込むことはそれなりの頻度と勢いをもってやってくるけれど。
子どもが生まれてからは、ショッキングなことと幸せなことが秒刻みでやってくるので、今何をしようとしていたのか?すら思い出せなくなることも頻繁にある。
そのため、落ち込むことも激減した。
老いでしょうか・・・。
もう1つ。
「世の中はそう簡単には変わらない」と学んだからこそ、コツコツと目の前のことにていねいに取り組み、積み上げていきたいと思うようになった。
もちろん、すぐに変わることもある。
実際、「保育園落ちた、日本死ね」というブログは国会でも取り上げられ、保育士の給与アップのきっかになった。
ただしこのやり方では、社会の「しくみ」を変えることは難しい。
もちろん、声を挙げていくことは必要なのだけれど、本当に大切なのは声を挙げ続けていくことだからだ。
だからこそ、コツコツとじわじわとやっていく姿勢を大切にしたい。
そんな想いを小倉ヒラクさんが言語化してくれていた。
すぐに手に入る奇抜さに手を出さずに、凡庸さの長い山道を超えてはじめて見える「自分だけの景色」を見たいなと思います。毎日の暮らしで直面する小さな問題や、自分にしかわからない小さな達成感の価値を見誤らないこと。その向こう側に個人の人生を超えた大きな川の流れが見えるように感じます。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年9月28日
「世の中はそう簡単には変わらない」
だからこそ今日も前向きに生きられるし、毎日を楽しみたいと思う。
そして自分ができることを、コツコツやっていきたいと思うのでした。