移住とホームシックと星野源
昨日、仕事だった旦那を迎えに行く道すがら、いつもより人が多く乗った特急とバスを見た。
おそらく満席に近いその様子に、お盆の終わりを感じる。
2年とちょっと前に移住して、見送られる側から見送る側になった。
実際には見送る誰かがいるわけではないのだけれど、帰省客と思われる人たちを買い物先などで見かけると、心の中でおかえり〜と思ってしまう。
そんな想いを巡らせながらお盆について考えていたのだけれど、昔、自分が帰る側だった頃に感じていたあのホームシックのような、胸がきゅんとなるセンチメンタルな痛みって何だったんだろう。
今も実家がある山口には帰省するけれど、そんな痛みや想いには襲われなくなってしまった。
まだ関東に住んでいた頃、その痛みは、新幹線の場合、岡山駅を通過する辺りでやってきて、飛行機の場合はピンポンパンと搭乗検査を促すアナウンスとともにやってきた。
あの痛みの原因が何だったのか、未だによくわからない。
生まれ育った場所や家族と別れるからだろうか?
いや、違う。
今も山口から愛媛に帰る時は同じシチュエーションだけれど、あんなセンチメンタルな想いには襲われない。
じゃあ、帰る場所の距離に比例するのだろうか?だとしたら、愛媛ー山口間の距離ではあまり感じないようだ。
そうなると、、何だろう。
あれこれ考えた末に、帰っていく先(埼玉)と、生まれ育った場所との圧倒的な環境の違いや、自分が本当に居たいと思う場所との相違からくるものだったのかもしれないという考えに至った。
幸せなことに痛みを感じなくなった今は、居るべき場所、居たい場所に居ることができていて、自分たちの居場所を見つけることができているんだろうと思う。
でも一方で、あの痛みが自分を成長させてくれたことも知っている。
これからもしかしたら、十数年後に娘たちが巣立って行くとき、また同じ痛みを感じるのかもしれないなぁ。
きっとそれまでもいろんな別れを経験することになるのだろうけど。
そんなことを悶々と考えながら、今日発売された星野源の『Family Song』を聞いた。
お盆、そして終戦記念日を終えた新しい1日に、家族の大切さを歌うCDを出しちゃう源さんって、やっぱすごいなあと思うのでした。
この曲を聴きながら、また今日から頑張れる人がたくさんいるんだろうなあ。
我が家は今日から遅い休みだけれど、明けたらまた頑張ろ〜。