暮らしの中にある哲学と生き方|松場登美さんの講演会に参加して
先日、石見銀山生活文化研究所所長、松場登美さんの講演会に行ってきました。
群言堂という名前のほうにぴんと来る方が多いかもしれませんが、島根県の大森町で暮らしに根ざしたものづくりをされています。
登美さんや石見銀山生活文化研究所については、著書やいろんな媒体で取り上げられた記事を読み、事業や考えの概要は把握していましたが、実際にお話を聞き、改めていろんな気づきがありました。
日本人の生活を守りたい
登美さんたちは、茅葺き屋根の葺き替えに必要な資金のうち約半分(1,000万円)をクラウドファンディングで調達するプロジェクトに取り組まれていたのですが、今回はそのプロジェクトへの寄付がきっかけで講演に来てくださいました。
これまでに、復活させた古民家は約10軒。
建物だけではなく、そこでの営みや古民家を維持する文化、技術を守ることに民間企業として取り組まれているのは、なかなかまねできることではありません・・・。
日本人の「おもてなし」はすごい!
Made in Japanの製品はすごい!
とメディアでは(特にテレビ)、日本はこんなにすごいんだぜ!という情報が溢れていますが、本当に価値があって守るべきなのは、根のある暮らしとそれを支える文化と技術なんじゃないでしょうか。
文化ナシでは、メシが食えない時代になってきた。
生活文化の水準は、その国の文化の基準。
技術が地方の財産。
そんな言葉がとても印象に残りました。
苦労した経験と、苦労と思わない心は財産である
登美さんに質問させて頂く時間があり、失礼かもしれないけど、どうしてそんなにリスクをとれるんですか?と聞いてみました。リスクとは、多額の借金をしてでも古民家の再生などに取り組まれていることです。
「リスクと思ってない。」
「これまでも苦労してきてるけど、想うことはどんな状況の時でもできるから、その想い描いたことになんとかして近づこうとやっているだけよ。」
というお返事に、自分の小ささが痛いほど身にしみました・・・。
そして、それまでの生き方や経験によってリスクに対する考え方は、まるで変わるということも。
お金に関するリスクと機会を損失するリスク。
その時に置かれた状況で、とれるリスクは変わっていく。
自分たちは裕福とは言えないけど、恵まれた時代にいることを再認識した上で、今の自分にとっての本当のリスクって何だっけ?と考えさせられました。
そして私自身にとっては、こうあったらいいな、こういうことやりたいなってことをやらないことが、最大のリスクだと心底思ったのでした・・・。
センスと哲学
「古くていいものと古くていまいちなものがあると思うんですが、そういうものの見分け方ってやっぱりセンスなのでしょうか?(古くていいものを見分けるセンスってどうやったら身につくのか?)」
夫は、そんなことを聞いてみたそうです。
登美さんいわく、物自体にいい、悪いはない。
あるのは見分けるセンスではなくて、捉え方の問題。
つまり、その人がその「物」についてどう考えたかということで、哲学みたいなもの。
例えば、経営する宿に葉っぱと赤い実のついた枝を飾っていた時のこと。
ある人は、葉っぱが枯れてしまったので、その木を捨ててしまいました。一方、登美さんはその枝を拾い、葉っぱを取り除いて、きれいな赤い実だけが残った枝をまた同じ場所に飾ったそう。
実際にその枝の写真を講演会で見ましたが、枝に赤い実だけを残すことで、その宿の雰囲気をつくる大切な要素の1つになっていました。
だからたった1本の枝をとっても、どう捉えるのか、どう考えるのか、そしてその上でどう扱うのかによって、見え方が変わってくる。
この話はとても腑におちました。
かなり前にセンスは知識からはじまるという本を読んだのですが、題名のとおり、確かにいいものを知っているとセンス良く見えたりもします。
でも、あくまで知識からはじまるというきっかけなのであって、「知っている」という状態でとまってしまうと、言葉に説得力がなく、汎用性もない。
知識を材料に考え抜き、知恵や哲学にまで昇華してはじめて、自分のオリジナルなものの見方ができるようになるのかなと思いました。
そんな生き方ができるように頑張っていきたいと思いますー!ではではー。