かとう家の小ばなし

愛媛県西予市に移住し、地域おこし協力隊として働く旦那とその家族の日常を、嫁ときどき旦那の目線で綴ります。

おばあさんが芝刈りに行っても、いいんじゃないか。

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最近、桃太郎の話が大好きな娘。

家では、「こんにちは!おじいさんです。」というモノマネをするのがマイブームなようです。

 

そこで、「おばあさんはどこに行ったん?」と聞くと、「せんたく」と答えました。

なるほど、話をわかってるんだなあと納得してたんですが、ふと、これって小さい頃からジェンダーロール(性別によって社会から期待されたり、自ら表現する役割や行動様式)を無意識に刷り込んでるんじゃないかと感じてしまいました。

 

いろんな役割分担があっていい

たぶん「桃太郎」の場合、おじいさんとおばあさんは、たまたま今日だけ「芝刈り」や「洗濯」に行ったわけではなく、おそらくそのように役割分担をしていた可能性が高いですよね。

 

でもこれからの時代を考えると、おばあさんが芝刈りへ行き、おじいさんが洗濯へ行ってもいいし、それぞれの予定を考えながらローテンションやシフトを組んだりしてもいいと思うんですよ。

 

それぞれが芝刈りも洗濯も両方できる方がいい。 

 

あ〜、今日はおばあさんの当番やったから、おばあさんが洗濯に行ったんやねー。

 

そんな解釈もスタンダードになるとおもしろいなあ、と密かに考えています。

 

こうじゃなきゃいけない、というものはない

もう一つ。これまでって、大きいものが「善」とされる風潮が強かったと思うんですよ。

大企業に入社すれば安泰とか、起業して上場して、会社を大きくしていくことがすごい!とか。(実際、本当にすごいと思う。)

 

じゃあ、大きくしなきゃだめなのかというと、必ずしもそんなことはない。

 

他にも、雇用を生み出している友人たちの活動をみると、その決断と覚悟に、いつもすごいなあと感じてしまったりする。

退路を断っての決断なんて私にはできないし、いつもけもの道くらいの逃げ道はこっそり用意しておきたい。

あぁ、私には覚悟が足りないなあ、こんなんでいいのかなあと思うときがあります。

 

でも、会社を大きくしなきゃだめとか、雇用しなきゃだめとか、退路断たないとだめなことなんか一切ないんですよね。ネットや雑誌からは、そんなすごい人たちの情報がざざーとやってくるから、知らないうちに、そうするのがすごくて”善”なんじゃないかと思ってしまっていました。

でも人それぞれで、まずは小さく始めて、そのまま小さい規模でもいい。自分のしっくりくるやり方でいい。

 

基本的には、なんでこれってこうなってんだっけ?、本当にそう?と、世の中の出来事をいちいち考えながら生きているんだけど、知らないうちに「こうするのが正しい」みたいな流れに飲み込まれていることもあるなあと振り返りました。

 

まずは家族が健やかに暮らしていけることが大切。

そこから活動を続けていける方法を考えよう。

 

と、子どもとのやりとりから、いつもいろんな気づきをもらっています。