「Only is not Lonely」な子育て
保育園に通っていない娘は、週に2回の森のようちえんや一時保育、週末は近所の友だちと遊んだりしていますが、1人で過ごす時間もそこそこあります。
1人とはいっても、私が水やりや畑仕事、家事をしていると、何してるの~?とやってきてはまねをして、私がいなくなった後も1人奮闘しているので、毎日なかなか機嫌よく過ごしているようです。
1人は寂しい?
そんな姿を頼もしく思いつつ、定期的にうーん、1人って寂しくないのかなと考えたりもします。
過去の記事で書いたように、集団の中で育てることと同じくらい大切なことがあると考えているので、今は日々娘の様子を観察している状況。
ここ最近の変化は、予約していた一時保育に連れて行こうとすると、もっと家で遊びたいと言われることも増えてきたことでしょうか。(母と離れるのがいやという理由ではない!)行ったら行ったで楽しそうなんですが・・・。
少し大人になると1人になりたいこともあるように、やっぱり子供にも1人でやりたいことを、やりたいときにやりたいこともあるんだろう。
いや、やっぱり適度に1人でいたいという望みは生まれた時からあって、それが他者が理解できるかたちで表に表れてくるのが、ずっと後になるだけなのかもしれません。
そんな想いを抱きつつも、子どもが1人の状況を見ると、寂しくないのかなとか、しかも親としてだとますます気にして考えてしまうこともあります。
私たちはいつのまに、1人は寂しいかもしれないとインプットされてしまうんでしょうね。
1人ぼっちの範囲は人それぞれ
そんな1人の状況に対する私の1つの解は、上述の森のようちえんの勉強会に参加したときの講師・中島先生のお話の中での気づきです。
少し離れたところで1人で遊んでる子(Aくん)がいたので、1人で遊びたいのかなー、仲間に入りたいのかなーと観察していたときのこと。
そのAくんは、グループで遊んでる子たちが面白いやりとりをしていたので、少し離れたところで、1人くすくす笑っていたそう。つまり、大人の目から見ると1人でいるように見えていて、本人は一緒に遊んでいる感覚だったということなんです。
それを見て、1人の範囲や距離感、視覚的な1人と心理的な1人の違い、子どもと大人の感覚の違いを考えさせられたそうです。
この考え方は森のようちえんを運営するときにも心にとめていて、観察しながら必要な時に声かけをするようにしています。
ひとりのとらえ方は、大人・子どもでも違うし、まさにひとそれぞれ。
そこを観察しながら子育てできればいいなあ、と今は考えています。
さいごに
改めてイトイさんの言葉、
Only is not Lonely
って、絶妙だなーとしみじみ思いました。
(ちなみにこの表現が欧米人には100%理解されないジャパングリッシュでしょうという考察もおもしろかった。)
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
そんな彼女も、産前産後ばたばたする関係で来月からしばし保育園にも通うことに。
どんな変化が訪れるのか、様子を見守っていきたいと思います。