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かとう家の小ばなし

愛媛県西予市に移住し、地域おこし協力隊として働く旦那とその家族の日常を、嫁ときどき旦那の目線で綴ります。

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価値という言葉からあふれるものを拾っていきたい

 

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先日、友人と話していた時のこと。

「未就学の間、自由に育てていても、小学校からはある程度決められた枠の中に入っちゃう感じがするなあと思ってるんだけど、その辺についてどう思ってる?」

と聞かれました。

 

個人的には、あるルールや枠の中に入ったとしても、その中で相手の言ってることも正しいかもしれないけど、自分も正しいと思える、自己肯定感が大事かなと考えています。

  

 

つまり、その社会・ルールに染まるのではなく、自分で考えて受け入れるところ、そうではなくて自分は自分と思えることが大切かと。そして、自分は自分だと思えるには、親としてしっかり受け止めてあげないといけないのかなー。

 

なので結論としては、学校を選ぶ(教育を求めて別の場所に移住する)というよりは、小学校という場をより良い場所にできるように協力し、

 

・家庭でしっかりと子どもに向き合う

・自由にできる未就学児の間に自己肯定感などの子どもの根っこがじっくりと育つような環境を提供してあげたい

 

という心持ちです。

 

 「価値」よりも「尊厳」

自己肯定感というキーワードで、先日読んでとても考えさせられた記事を思い出しました。

 

 

こちらの記事で紹介されている、自由の森学園高等学校校長先生のお話。

 

 昨年の夏、相模原で、何の罪もない無抵抗の障害者の方々19名が犠牲になる事件が起きました。中でも、その事件の根底の1つになっている、「 優生思想 」について警鐘をならされています。

 

優生思想とは、

「 価値がある人間・ない人間 」「 役に立つ人間・立たない人間 」「優秀な人間・そうでない人間」

といった偏った考え方で人間をとらえ、人間の生命に優劣をつける思想です。

 

お話は、全盲と全ろうの重複障害を持つ 福島 智( さとし )さん( 東京大学先端科学技術研究センター教授 )のお話を紹介し、次のように続きます。

 

「 役に立つ/立たない 」といった人間や生命を価値的に見ていく考え方は、いずれは自分も含めた全ての人の生存を軽視・否定することにつながっていくのだと福島さんは述べています。

 

人間の価値、生命の価値、生きる価値、そもそも人間や生命という言葉に「 価値 」という言葉をつなげるべきではない、私はそう思っています。人間には、そして生命には「 尊厳 」があるのです。

尊厳とは「どんなものによっても代えることができないもの・存在 」と言うことができるでしょう。ここにいるみなさん一人ひとりもそうです。

 

あなたは何ものにも代えられないのです。あなたの代わりはどこにもいないのです。

 

人間をそして生命をも、取り替えることが可能なものとして「 価値的 」に見てしまう現代社会において、「 価値 」ではなく「尊厳」という言葉で自分をそして自分の人生を見つめていくことが大切だと私は思っています。

当然その視線は、自分以外の他者やその人生をも見つめることにもなるでしょう。そしてそれは「 どのような社会を目指していくのか 」ということにもつながっていくと私は思っています。(※太字は筆者による)

 

この文章を読んで、教育の目的について深く考えさせられました。

 

今の教育は、どちらかというと価値のある人間を輩出することに重点が置かれ、出した答えが能力として評価される傾向にあると感じています。

そして、その(評価される)能力とは資本主義社会でお金を稼げるかどうかに偏よりがち。

同様に、暮らしを取り巻く社会でも価値のあるなしで評価される傾向が強いのではないでしょうか。

 

一方で、日本は幸福度ランキングでは51位だったり、自己肯定感が低いなど、幸せを感じることが難しい環境に暮らしていることも報告されています。

 

世界幸福度ランキング2017発表、日本の順位は?

 

特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~|平成26年版子ども・若者白書(概要版) - 内閣府

 

物質的な豊かさよりも大切な居場所

そして、幸せに感じられない要因の1つは、存在そのものを認められる場所の欠如、つまり尊厳を軽視する風潮ではないかと思うのです。

 

特に子育て・介護についても、そんな風潮を強く感じることがあります。

 

教育に関していえば、問いがあって答えがあるのではなく、実社会ではそもそもの問いから自分でたて、考え抜かなければならない。

 

その問いのたて方や、考える過程、取り組む姿勢ひいては生きる姿勢にその子らしさがあらわれ、その様子は誰にも優劣をつけることはできないのではないかと思うのです。

そんな姿勢も評価されることが、教育における居場所づくりなのかなと。

 

生きていく意味は、他の国に勝つことでも、これ以上、物質的に豊かになることでもない。

それぞれが自分の居場所を見つけ、その人らしく生きていくことができること。

生きやすい社会とは、どんな状態の時も居場所があると感じれられる社会のことではないでしょうか。

 

これからノヤマカンパンニーでやっていきたいことは、考えるきっかけになる場所づくり、そして居場所づくりなのかもしれないなと思ったのでした。

 

 参考までに!

2016年度 自由の森学園高等学校 卒業式 校長の言葉 - 自由の森日記

 

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