生きていくのに必要なのは解決能力ではなく、問題意識。|ヒビノさん×瀬戸さんの教育対談動画でおもしろかった視点。
ヨメです。
高知県土佐町に在住のヒビノケイコさん。彼女の視点が面白くて、ブログをよくチェックしています。
少し前になりますが、メルマガ読者限定で配信されていた教育に関する対談動画がとってもおもしろかったんです!
対談動画は下記のブログにもまとめられているので、ご参考まで。
ヒビノさんが対談されているのは、現在、”嶺北高校魅力化特命官”として、地方での教育課題解決のためにバリバリと仕事をしてらっしゃる瀬戸昌宣さん。
瀬戸さんは、ダンナと同じ地域おこし協力隊の制度を利用して、教育に特化した活動を展開されてる方です。全国的にも教育を目的として採用されている地域おこし協力隊は唯一なんだそう。
今日は、そんなお2人の対談で印象に残ったことを書きたいと思います。
ものごとを考えるときのスケールの重要性
都会では核家族が多く、親の世代までしか見ることが難しい。
一方で、田舎ではひいおじいちゃんとか自分の2、3世代上までがいることが珍しくない。そういった、大きなサイクルの中での人の生き方などを見ることができる環境は買えるものではい。
人生を俯瞰的に見る視点が養われていると、人生を考える時のスパンが変わってくる。そういった縦の系譜はとても重要で、ものごとを考えるときに時間的なものさしを自在に伸縮させることのできる柔軟性を身につけることができる。そういった意味では、田舎はめっちゃアドバンテージ。
都会はある特定の技術を効率的に見につける事ができるが、転用し辛い。田舎はスケールが大きすぎて2、3世代先とかゆっくりしすぎていることもあるけど・・・。
個人的には、このスケール感覚ってめちゃめちゃ大事だと思うんです。
日本社会の風潮としても、想定できる世代のスパンが短くなってきているように感じます。
どういうことかというと、例えば原発の問題についても、私たちは核のゴミをどのように処理するのか答えを見つけられていないのに、原発を再稼働させちゃっています。
つまり、将来世代の負担を考慮せずに、今現存する世代の経済論理で動いちゃってるんですよね。
このスケール感覚がベースにあることは、今後、持続可能な社会を目指すうえでとても重要な要素だと考えています。
生きていくのに必要なのは解決能力ではなく、問題意識。
解決能力が高くても間違った問いをたてると答えにたどりつけない。
そもそもそれは、自分にとって必要なものなのかとか、適切な問いを設定できる能力が大事。
そしてその問いは更新し続けていく必要がある。
いい大学に入って、いい企業に入っても倒産しちゃうこともある。そんなふうに、こうすればうまくいく!的な子育ての方程式がなくなった時代、親自身が学ぶ・学び続ける事が大事だというお話でした。
そして、親や先生が何かを教えられるという想いを捨てるべき。
ツールは教えれられるけど、どう生きていけばなんてわからない。そもそもこんなに急激に変化する社会を経験するのは初めてなのだから。
今、親に求められいるのは、問題の解を教えてあげることでも障害を取り除いてあげることでもなく、一緒に並走しながら勉強して成長していくことなんだろうなと思いました。
前提を問う。
瀬戸さんは新しい試みとして、生徒と学習指導要領を読み込むことを考えているそうです。
全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省では、学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めています。これを「学習指導要領」といいます。
勉強する前に、学習指導要領を学ぶことで、何を学ぼうとしているのかを理解できる。その上で、自分の行きたい方向性に必要な学びや学校では学べないことがわかる。
「なんで勉強するのか?」という問いへ自分なりの答えをもつことは、勉強へのモチベーションを維持するにとても重要だと思います。
少し前までは、戦後の復興、欧米に追いつけ追い越せなど日本社会としての明確の目標・路線にみたいものがありましたが、いわゆる先進国の仲間入りをし、物質的に満たされている今の日本では、「なぜ勉強するのか?」という部分で腑落ちする自分自身の答えをもつことはとても重要だと考えています。(大学時代は勉強よりも部活に明け暮れていた自戒も込めて汗)
学習指導要領を学ぶことで、どんな効果がが出てくるのか楽しみです!
他にも「事実と真実の違い」など、興味深いお話が盛りだくさんでした。
動画はメルマガ登録しないと見れませんでしたが(少し前の動画なので今も見れるかは不明)、エッセンスは上記のブログにまとめられているので、興味のある方は見てみてくださーい!