かとう家の小ばなし

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和紙の一輪挿しつくりを体験してきました!

 

先週末、和紙の一輪挿しをつくるワークショップに参加してきました!

和紙を漉ける機会はなかなかないし、母が一輪挿しを探していたこともあり、気になっていたんです。

 

主催は、りくうさん。

 

一輪挿しのタイプは2種類あります。

1つは幾何学模様。

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もう1つは繭みたいな形のデザインです。

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両方とも、3Dプリンターでつくられているそう。

 

好きな形を選び、早速漉いていきます。

まずは、楮(こうぞ)の入った水にくぐらせる作業。

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少しずつ、楮が型にのっていきます。

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ある程度のったら、ドライヤーで乾かします。

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そして、再び漉いていきます。

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この後は、ひたすら漉く→乾かすの繰り返し。 

 

途中、楮を足してもらいました。

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だいぶできてきた〜。

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「全部和紙でふさいでしまうと、中に入れる試験管が光を反射してきらきらする部分が見えなくなるんですよ。」

 

とアドバイスをもらったので、ちょうどいいあんばいで作業を終えました。

 

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こちらの繭タイプも体験させて頂いたのですが、幾何学タイプよりも難しかったです・・・。

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基本的に、縦か斜めの構造で横の線がないので、楮がひかかりにくいのかもしれません。きれいに漉けるプロはすごいなぁ。

 

一輪挿しが完成した後は、希望によって色をつけることもできました。

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好みの糸を選んで、一輪挿しの隙間くくりつけて、

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完成ー!

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おいしいケーキとコーヒーも頂いて、充実した時間でした〜。

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やっぱり何かをつくる体験は楽しい。

 

1つは母にプレゼントして、もう1つはわが家に。

どこに飾ろうかなあ。

 

りくうさんの作品は24日(日)まで、池田屋さんで展示中とのこと。
素敵な作品が実際に見れるので、ぜひ足を運ばれてみてくださーい!

 

森のようちえんの写真展をしています、とその裏話

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「ここで、写真の展示とかできたらいいよねー。」

「いいね~。」

と話していたのが、数ヶ月前。

やっと形になり、西予市市役所1階のロビーで写真展を開催中です(12〜26日まで)。

 

市役所を訪れるたびに、子ども達の絵画や作品などが展示されているのを見ていて、私たちもこの場所を活用させてもらえたらいいなあと考えていました。

 

私たち夫婦は「営業」があまり得意ではありません。

ダンナとよく話しているのですが、いつも近くの道の駅で海産物を売ってるおじさんの

「良かったら食べてみてや〜、それで良かったら買ってね。」

といったスタンスです。

 

それは、頭を下げるのが嫌という意味ではなくて、同じパワーを使うなら、活動をより良くすることに使いたいと考えているから。そうすることが自分たちにとっても、関わってくれる人にとってもプラスになると思っています。

持続可能なかたちで続けて行きたいからこそ。

 

まさに、以前書いた「枠」じゃなくて「核」を大事にした活動をしていきたい。

コミュニティについて考える時に大切なこと - かとう家の小ばなし

 

今回の写真展はそんな自分たちが考えたマイルドな営業作戦?と言えるかもしれません。

ただ1つ伝えたいのは、純粋に参加者を増やしたいという想いではなくて、あくまでもこんな「子どもとの関わり方」、「市内での過ごし方」、「自然とのつき合い方」、「生き方」もあるよ!といったことを伝えるのが大きなねらいです。

 

そして、応援してくれる人が増えたらいいなあと。

 

無駄な経験なんてない、活かせるかどうか

ということをダンナとわいわい話しながら夜な夜な作業をしていたのですが、盛り上がったのは、20代でいろんなことしてきたけど、それが今全部つながってるよねーということ。

 

前職は同じ財団で研究員として働いていたのですが、人前で話したり、コンクールの運営をしたり、イベントを運営したり。

「どんな仕事をしてるの?」と聞かれても、いつも答えにつまり、やっと出てきた答えは「自然を守る目的につながること全部」と、さらに謎が深まりそうな回答でした。

 

それなりにハードな職場だったけれど、徹底的に自分たちでやる、やる方法を考えるということが身についたおかげで、たいていのことは調べればできると思える姿勢を身につけられたことは、今とても役立っています。

 

目的をもってできることを増やしていくことも大切だけど、将来の役に立つかどうかで経験を判断していくと、できることの可能性を小さくすることもあるなあと改めて思いました。

 

評価される側に立ち続けること

最後に1つ。森のようちえんもそうですが、何かをはじめたり、実行するということは評価されることと表裏一体です。

 

正直怖いと感じることもあります。

私たちの場合は、自分たちで事業を行っているので、会社や誰かが守ってくれる訳でもありません。

 

だとしても、やりたいことがあるから、安全なところから誰かや何かを評価し続けるのではなく、常に実行者として評価される側に立ち続けたいなあと思うのでした。

 

評価される側に、立ち続けるということ。|最所あさみ|note

"論者"の道と "実行家"の道|最所あさみ|note

 

 

自分のフィルターを育てる

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ぐっと冷え込んできました。

先日は、森のようちえんであられが降る日に外へ出かけて、とっても寒かった。

おかげで、真冬に9時間以上猛禽調査をしていた前職での日々を思い出しました。

 

仕事とはいえ、出現するかどうか分からない鳥を極寒の中待ち続けるのは、なかなか大変で何度も心が折れそうになったものです。

 

自然観察に出かけるとき、その対象が生きものである場合は特に、お目当てのものに必ず出合えるとは限りません。季節やそれまでの天候・気温からある程度予測して出かけても、難しかったりします。

 

見れる時もあれば、見れない時もある。

見れたらラッキーだし、見れなかったらまた来る時の楽しみが増える。

そんなスタンスの人が多いので、私は自然を好きな人のことが大好きです。

 

こうしたスタンスでいることって、最近ますます重要になってきているなと思うようになりました。

というのは、失敗したくない、そのために早く正解を知りたいという人が多いと感じるからです。

 

近道なんてない

失敗しないようにとか、自分にとって損か得かで物ごとを判断することは、自分の視野を狭くする危険を孕んでいます。

 

例えば、「いい出会い」を求めている人がいるとします。

はじめて行ったイベントで、いきなり、結婚したい!、ビジネスを一緒にやりたい!と思えるような、めっちゃ気が合う人に会えたりするでしょうか。

おそらく難しいと思います。

むしろ、つき合ったけどうまくいかなかった、仕事のパートナーとけんか別れしてしまったという、一見ネガティブに見えることからの方が学ぶことは多い。

そういった機会は、「自分がどんな人と一緒に居たいのか、仕事をしたいのか」という、自分を深く知るきっかけをくれるからです。 

 

インターネットによって、誰かの正解を探すことはできるようになったけれど、自分にあてはめた場合、それが正解になるとは限りません。

 

だからこそ、「自分には合わなかった出来事」から自身を見つめ、自分だけの答えを見つけていくことが大切なんだと思います。

 

自分のフィルターをつくる

自然の中で過ごすことは、たくさんの発見や学びがあります。

寒い日もあるし、暑い日もある。

風が強い日も、日の光が温かい日もあります。見える景色、出合えるいきものも季節によって違います。

経験を選ぶというよりは、ただそこに身を置き、自分のフィルターをつくっているような感覚です。

 

日常の中で感じたこと、考えたことが沈殿して「じぶん」がつくられる。

 

だから今日はめっちゃ寒かった!、何にも生きもの見れなかった~!、でも弁当はおいしかったなという何でもない1日も、特別な日と同じくらい大切にしたいなと。

 

たった数年しか年月を重ねていないのに、子どもたちのフィルターにはすでにいろんな個性が表れています。

そんな様子を観察するのも、すごく楽しい。

 

これからますます冷え込むけれど、楽しみながら外に出かけていきたいと思います。

理想と現実がかけ離れているとき、どう生きていくか|映画「人生フルーツ」を見てきた

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先週末、ずっと見たかった映画「人生フルーツ」を見てきました。

 

映画『人生フルーツ』公式サイト

 

私がこの映画を見たかった理由は2つ。

 

1つは、ジブリの鈴木さんのポッドキャストや、隠居系男子の鳥井さんのブログを読んで面白そうだと思ったから。

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ - TOKYO FM 80.0 - 鈴木敏夫

映画『人生フルーツ』は、パンクな映画。 | 隠居系男子

 

そしてもう1つは、とても個人的な理由。

作品解説から少し引用します。

 

かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

引用:作品解説 | 人生フルーツ

 

私たち夫婦は以前、自然環境を守る活動を主体とした公益財団法人に勤務していました。

働く中で、作品解説にある様な開発に反対したり、開発する場合でもできる限り自然に対するインパクトを少なくすることを提案したりしていたのですが、経済優先の社会の中で、「自然を守る」という目的の達成がいかに難しいかということを日々痛切に感じていました。

 

社会をこうしたい!って考えた時に、戦い方は2つあると思います。

1つは組織に所属して社会を変えていくこと。

こちらの場合、規模もあることでそれなりの力が発揮できると思います。

そして仲間もいる。一方で、組織と考えが合わなくなったり、組織の中で異なる意見に出合ったりした時には、調整することにエネルギーを注がなくてはなりません。

 

もう1つは、例え時間がかかってもこっちの方が楽しくない?という小さな現実をコツコツとつくっていくこと。

主人公の修一さんと英子さん夫婦は後者の道を選びました。

私たち夫婦も、こちらの道なき道を歩いている途中(勝手にそう思ってるw)なので、お2人はどのように道を歩み、時を積み重ねてきたのかを知りたかったのです。

 

 感想:自分でやってみることの大切さ

ていねいな暮らしとは何か?

相手を説得すること。

社会を説得すること。

などなど、いろんな考えが頭を巡ってまだ整理できていないのですが、一番心に残っているのは、「自分でやってみることの大切さ」です。

 

私たちは高度に分業化された社会に生きていて、都市部に向かえば向かうほどその傾向は顕著です。(田舎には、1人何役もこなすスーパーマンや何でもつくれるおっちゃんやおばちゃんがあっちにもこっちにもいるけど・・・)

 

医療でも行政でも学問でも、分業すれば深く専門的な仕事ができます(縦割りとも言う)。

その一方で、全体が見えなくなっちゃてるのが「今」なんじゃないかと思うのです。

それは自分でできること、やってみたことの範囲が少ないからではないでしょうか?

 

.自分でやってみると何が大変かが分かり、全体も見えてくる。

全体を考えた上で、目の前の仕事と向き合えれば成果も変わってくる。

そして何よりも、他者の仕事に敬意を払えると思うのです。

 

野菜を育てたり、DIYで何かをつくってみたり、介護を手伝ってみたりすることでもいい。

修一さんや英子さんのように、「自分でやってみるという生き方」を選んでみてもいい。

 

お金を払ったら他の人にやってもらえることが多い時代だからこそ、あえて自分でやってみることって大切だなあと。

そこから、自分に合った仕事や生き方が見えてくるのかもしれません。

 おすすめの映画です。 

 

【感想余談①】

それにしても、映画に出てくるごはんがどれも美味しそうで、長生きしてたくさんおいしいものを食べたい!と心底思いました~。

 

【感想余談②】

中国語のタイトルは、「積存時間的生活」。なかなか直球で、おもしろいなあ。

 

お母さんになる人生とならない人生、何が違うんでしょうか?

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「お母さんになる人生とならない人生、何が違うんでしょうか?」

 

ドラマ、コウノドリに出てくる助産師の小松さんが、子どもをもつ同僚に尋ねていた。

 

放送を見てからずっとその答えを考えていて、女性であることに変わりないし、違いはないのかもしれないとも思ったりした。

 

そして辿り着いた1番の違いは、ある一定期間において、自分ではない個人の人生について、決断をし、その責任を引き受けなければならないことだと思う。

 

子どもの主体性を育てたいと思い、森のようちえんの活動をしていると、「えらいね。」と言われることがある。

でもそんなことはなくて、主体的な姿勢を身につけ、自立への階段を登ってくことは、親にもメリットがあるのだ。

 

あなたは私の子どもで、私はあなたの母親ではあるのだけれど、大前提として、それぞれ個人としての私がある。

 

だからこそ、さくちゃんさんが下記の記事で書いているように、お互いがいつまでも自由でいられるといいなと考えている。

 

参考:あなたとわたしが、いつまでも自由でいられますように。

 

子どもがいるいないは、あくまで違いであって、そこに優劣はない。

私は私で縁あって、子どもを授かり母親になったことも楽しみながら生きていきたいと思います。

 

さくちゃんさんのセブンルール、おもしろかったのでおすすめです~。

 

 

本当に悪い人っていないのかもしれない|「漫画 君たちはどう生きるか」を読んで

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周回遅れ感がありますが、話題になっている漫画 君たちはどう生きるかを読みました。

以前、原著を図書館で借りて読んだのですが、自身の状況が変わるとまた新たな発見がありますね。

 

物語は、主人公の中学生コペル君と編集者であるおじさんのやりとりを中心に展開されるのですが、今回は下記の部分が特に印象に残りました。

ー君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かしきれないでる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。

世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。

 

本当に悪い人っていないのかもしれない

コペル君は仲間が上級生にいじめられている状況を黙って見ていることしかできず、「いじめられた時には必ず助ける」という仲間と交わした大切な約束を、守ることができませんでした。

つまり、逃げてしまったんです。

 

これは、善悪で考えると悪いことだと思うのですが、「弱さ」として捉えるとまた印象が違うなと。

漫画では、逃げたことをひたすら後悔するコペル君が描かれていたのですが、いち読者の私としては、「悪い」というよりは「弱さ」感じました。

一方で、裏切られた当事者である仲間も、はじめはおそらくコペル君を「悪いやつ」だと思ったでしょう。

 

それでも、最終的にコペル君を許したのは、彼の「弱さ」を受け入れ、強くなりたいという願う彼の姿勢に心を動かされたからじゃないかと。

 

自分が任期のうちは、面倒なことは起こしたくない事なかれ主義。

自分が任期のうちに、何らかの実績を残したくて必要のないものを作ってしまうこと。

なかなか自分で自分を認められず、承認欲求を外に求め続けること。

悪口や嫌みを言ってしまうこと。

 

そういったことをしてしまうのは、その人の中の「悪」が表面化したというよりも、「弱さ」ではないか。

 

そして、大変な経験をした人に強くて優しい人が多いのは、自らの経験をもとに人の弱さを理解できるからだろう。

大変な経験を「強さ」に昇華できるかどうかも、きっと紙一重。

「私が大変な想いをしたのだから、他の人もその道を辿るべき。」

そんな悪魔のささやきを振り切るために学び続けるた結果、身に付くものを教養とよぶのだろう。

 

教養を身につけるっていうのは、何かに詳しいとかはなくて、強くしなやかに生きていくことなのかもしれない。

 

今まで感じてきた「悪」って、弱さなのかもしれないと考えると、相手の見方も変わるなあという、新たな発見でした。

 

 

刈り取る人と育てる人

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先日、四国女子会というイベントに招かれてお話をしてきました。

 

会への参加をきっかけに、女性であることについて改めて考えていたのですが、私が大好きで尊敬する友人には、共通の傾向があるなあと気づきました。

 

愛が溢れている

まず、これ。普通、愛を注げる対象と言えば、家族を思い浮かべると思います。

しかし、彼女たちの愛の対象は家族にはとどまらず、例えば子どもについて語るときは、自身の子どもだけでなく地域の子どもたちが含まれ、お年寄りについても同じ。

 

主語が「私」ではなくて、「私たち」という感覚で物事を捉えている、と表現してもいいかもしれません。(私たちの子ども、私たちの地域といったように・・・)

 

おそらく、当事者として受け止められる守備範囲が大きいのだと思います。

 

育てることを楽しんでいる

そして、彼女たちはコツコツと育てています。

ちまたにはコスパがいい〇〇とか、

〇〇を実現するためにやるたった7つのこと、

など何かを達成するための効率のいい方法についての情報が溢れています。

 

それでも、彼女たちはそういった情報には振り回されません。

目の前のことに真摯に向き合いながら、ブレずにコツコツと何かを育てています。

その対象が子どもだったり、事業だったりします。

ここまで書いておいてあれですが、この2つを満たしているのは女性に限らないな・・・。

 

まとめますと、私はこの2つの要素を持っている人たちが大好きで、とても尊敬しているのです。

 

本音もすぐにばれる

ここからが本題なのですが、少し前に下記のツイートを読んで、心底共感しました。

 

 

日々暮らしを重ねていると、愛を注がれてできたものと、そうでないものに出合います。

そして、SNSが生活に浸透し、発信しているモノ・コトを本当に好きなのか?ということがバレやすい時代になりました。

そのモノ・コトに対して真摯に向き合っているのか?という姿勢が、無意識のうちに伝わってしまうのです。

 

大好きだからこそ、そのモノ・コトについて、語ることができる言葉をたくさんもっているし、ネタもつきません。中にはえっ!そこまで?というくらい、マニアックな情報もあったりします。

だからこそ、あぁ、この人は本当に好きなんだなあという姿勢が伝わる。

 

そして、「好き」という気持ちがあるからこそ、コツコツと育てることができる。

バズや炎上を狙って、承認欲求やマーケティングの目的を満たすための近道を選ぶのではなく、ひたすら丁寧に水や栄養を与えながら、育てる過程をも楽しむことができるんです。

 

実は本当に何かを育てる気がない」というのは、今後ますます伝わりやすい世の中になっていくと思います。 

 

だからこそ、自分たちの好きなことやいいと思うことを大切にして、丁寧に伝えながら、コツコツと育てていきたいと思います。

 

 

 

コミュニティについて考える時に大切なこと

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思い立って「コミュニティ」について学んでいます。

ここ数年というか、移住してからますます「場所」「居場所」づくりへの興味関心が高くなってきたからです。

 

私はどんな場所がつくりたいのか?

地域にあったらいいなーと思う場所ってどんなものだろう?

そんなことを考えています。 

 

先日、「コミュニティ」について学ぶ中で、めちゃめちゃ腑に落ちた考え方に出会いました。

 

枠ではなく核で考える

一般的に 「コミュニティ」について考える時、枠があって、その枠の中に人が入っていくイメージを想像するのではないでしょうか?

 

でも、実際のコミュニティの形は違うんです。

真ん中に核があってその周りに人が集まってくるもの。

コミュニティマネージャーの最所さんは、そう表現されていました。

たき火の周りに人が集まっている様子を思い浮かべると、より理解しやすいかもしれません。

 

最所さん作の図を元に表すとこんな感じ。

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この考えを聞いて、私は感動するレベルで合点がいきました。

もやもや考えていたことが言語化されていて、これからつくっていきたい場も、今運営している森のようちえんもまさに、核の考えを大切にしたいんだと気付くことができたからです。

 

もう少し詳しく説明します。

コミュニティを枠で捉えると、入るか入らないかという二択になります。

一方、核で捉えると、関与度は核からの距離で考えることができます。

 

つまり、関与度が高い人とは核のすぐ近くにいる人のこと。

核のすぐ近くにいる人から、少し距離を置いている人まで、コミュニティへの関与度をグラデーションで表すことができるんです。

 

もう1つ。

枠で捉えると、どうしても枠の中にいる人を囲ってしまいたくなります。

しかし、そうやって枠の維持に固執すると、どうやったら逃げられないか?という発想に至り、そもそものコミュニティの目的からそれた、本末転倒な方向へ転じてしまう可能性が高い。

 

一方で、核で考えることは「距離をとること」を認めます。

そもそも囲む枠もない。だからこそ、一番大切な核をより良くする活動に注力し続けられるのです。

 

この「距離をとること」を認めるってけっこうハードルが高いことだと考えています。

「距離をとる」ことが「活動に対する否定的な態度」と混同されがちだからです。

 でも、人の興味関心の移り変わりや熱量を縛ることって難しい。自分自身のことだってそうです。

 

また、距離をとることを認めない閉鎖的なコミュニティでは良い空気感を醸成するのは難しく、最終的には運営し続けることも難しくなる可能性も少なくはありません。

 

改めて、今運営している森のようちえんも、囲むという「枠」の視点ではなく、どうやったらよりよい活動を展開できるのか、という「核」の視点で考えて運営していきたい、と強く思いました。

 

移住と関係人口

この「枠」と「核」の考え方については、移住関係人口についてもあてはまると考えています。

最近、地方創生の分野で語られることの多くなった「関係人口」という言葉ですが、文字どおり、ある地域に関係する人口を指します。ざっくり言っちゃうと、その地域の「ファン」です。

 

枠で囲もうとすると、移住してもらおう、なんとかこの場所に住み続けてもらおうという考えになりますが、核で捉えると、どうやってファンになってもらおう?というところからスタートします。

 

ファンの中には月1でその地域へ通う人もいれば、年に1回は行きたいなあという人もいるでしょう。

 

そういったファンに「結婚しよう!」といきなり迫るよりも、「おいしいお酒があるんよ。」、「今は、アジが旬なんよ。」、「この新しい品種のみかん、ぜひ食べてほしいんやけど。」と、じっくり関係性を構築していった方が成就の可能性も高まりやすい。

 

一部の熱狂的なファンが移住してくれるかもしれないし、年に1回しか来ていなかった人が月に1度来てくれるようになるかもしれません。

 

移住によって人口という分かりやすい数字が増えるのは、税収の面からも共助の面からもプラスかもしれません。

同様に、「顔を見たくなったから、今月も来ちゃいました!」と、定期的に新しい風を吹き込み、地域のものを消費し、宣伝してくれるファンが多いことも同じような効果があるのではないでしょうか。

 

「枠」よりも、「核」で考える。

 

核という炎を燃やし続けられるように、いいことも悪いことも上質な燃料にして、精進したいと思います!

世の中はそう簡単には変えられないから

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若い頃に学んで良かったと思うことの1つに、「世の中はそう簡単には変わらない」という考えがある。

ありがたいことに、新卒入社した財団法人でこの考えを学ぶことができた。

その財団は、「正しいことを正攻法で実現していくこと」をモットーにしていたので(少なくとも私はそう感じていた)、目の前に立ちはだかる壁は相応に高く厚かった。

 

時代劇に出てくる悪役が実社会ではあまり登場しないように、世の中に分かりやすく悪い人なんていないんだと思う。

 

1つ言えるのは、社会人として目の前の矛盾に目をつぶっていると、それが積み重なった結果の、どう考えても本末転倒だし、理解できないことに出合ってしまう。こういうことを「タチガワルイ」と表現するのかもしれない。

実際、仕事として向き合わねばならないことは、「タチガワルイ」ことも多かった。

 

話を元に戻す。

「世の中はそう簡単には変わらない」と学んだからこそ、ショッキングなことが起きてもあまり落ちこまなくなった。

落ち込まないヨ!とは言えないけれど、落ち込みから回復するスピードは圧倒的に早くなった。

 

大好きな友達が移住してしまったり、これまで参加してきた数十回の選挙で自分が票を投じた人はなぜか当選しないとか、落ち込むことはそれなりの頻度と勢いをもってやってくるけれど。

 

子どもが生まれてからは、ショッキングなことと幸せなことが秒刻みでやってくるので、今何をしようとしていたのか?すら思い出せなくなることも頻繁にある。

そのため、落ち込むことも激減した。

 

老いでしょうか・・・。

 

もう1つ。

「世の中はそう簡単には変わらない」と学んだからこそ、コツコツと目の前のことにていねいに取り組み、積み上げていきたいと思うようになった。

もちろん、すぐに変わることもある。

実際、「保育園落ちた、日本死ね」というブログは国会でも取り上げられ、保育士の給与アップのきっかになった。

ただしこのやり方では、社会の「しくみ」を変えることは難しい。

もちろん、声を挙げていくことは必要なのだけれど、本当に大切なのは声を挙げ続けていくことだからだ。

 

だからこそ、コツコツとじわじわとやっていく姿勢を大切にしたい。

 

そんな想いを小倉ヒラクさんが言語化してくれていた。

 

 

 「世の中はそう簡単には変わらない」

だからこそ今日も前向きに生きられるし、毎日を楽しみたいと思う。

そして自分ができることを、コツコツやっていきたいと思うのでした。

道具よりもいれものを

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森のようちえんの目的の1つに、「子どもの自主性を尊重し、見守ること」、というものがあります。

最近ますますこの「自主性」、「見守ること」が大切だなあと感じているので、思考の整理もかねてまとめてみたいと思います。

 

人間にしかできないことって何? 

先日目にしたこちらのツイートから、これからはますます「問い」が大切になるんだなとぼんやり考えていました。

 

また先月末には、みずほ銀行がAIによって業務を効率化し、1万9千人分の業務量削減を目指すことが報じられ、話題になっていました。

機械でもできる仕事はAI化されていく未来が、想定より早いスピードでやってきているような気がする・・・・という肌感覚です。

みずほFG、1万9千人削減へ ロボットやAI活用 約800カ所店舗統廃合 - 産経ニュース

 

こうした波は、いずれ地方へもやってくる。

 

AIについては、「人間の仕事が奪われる」というネガティブな側面で語られることも多いのですが、原則、人にとって役立つものだと考えています。

長時間労働が無くなったり、廃炉ビジネスで大きな役割を果たしたり、病気の特定にかかる時間を短縮したりとか。

人工知能 病名突き止め患者の命救う 国内初か | NHK「かぶん」ブログ:NHK

 

じゃあ、人間にできることって何か?と考えると、やっぱり問いをつくることだと思うんです。

本当に解くべき問いをつくって、社会をより良くしていくこと。

問いをつくった後の、課題のたて方や解決方法は、AIと並走できる。

でも、解くべき問いをつくることはまだまだ人の得意分野だと考えています。

 

自分自身の「なぜ?」を大切にしてほしい

一方で、私たちが社会に出るまでに、「自分だけの問いをつくり、それを解く機会」って十分に与えられているでしょうか?

 

実はそんなに多くないと思うんです。

自ら立てた「問い」を最後までやり抜く過程まで含めると、ますます機会は少ない。

 

だからこそ、スキルを詰め込むのではなく、スキルを入れるいれもの育てたい。

こちらから与えるのではなく、「なぜ?」、「なんで?」と考える機会を大切に、生きていくための根っこを育てたいと考えています。

 

今の学校教育では基本的に、課題や問いを解くためのスキル(道具)の習得に比重がおかれています。

でも、社会に出て生きていくことって、自分だけの問いをつくり(=就職)、それを解いていくことなんですよね。適切な問いがあって、はじめてスキルが活きてくる。

 

洗濯ものが増えたり、自分の用事が片付かなかったり、仕事の途中で手をとめなきゃならないことも多いけれど、できる範囲で見守っていきたいと思います。